性癖の備忘メモ

舞台やら何やらの雑多な感想メモの予定

18年待ち続けた国の行く末の話

十二国記の新刊を読みました。

十二国記は小学生の頃から読み続けた、間違いなく私の価値観の一部を作り上げてくれた作品です。

本当に新刊が読めて嬉しいです。受け手である私も、作り手である小野主上もきっと変わっているはずなのに、18年経っても変わらない気持ちで新刊を読めたことが、心から幸せだと感じます。

諦めずに待っていてよかった。小野主上、本当に本当にありがとうございました。

 

 

※以下はネタバレを含みます!!

 

 

 

十二国記ってもちろん国の話なんですけど、今回の白銀の墟 玄の月は、なんというか泰麒のひたむきな情の物語だったな…と思います。決して恋愛ではないけど文脈が純愛というか…

風の海も、驍宗さまへの自分の想いの正体がわからなかった泰麒が、驍宗さまをついに王に選ぶまでの情の物語だったと思うのですけど。今回も自分が選んだ王である驍宗さまを探し、再び出会うまでのひたむきな情の物語だな…と。

元々風の海の頃から、泰麒は自分の価値を低く見積もる傾向があって、それは

・実の母親以外からは人として愛されなかった、疎まれた

麒麟として蓬山で愛されたが、麒麟として当然のことができなかった

・宰補として王宮でも愛されたが、年齢的にも生まれ的にも出来ることが少なかった

あたりがその所以だったわけですけど。魔性の子を経ることによって、

・実の母親からも誰からも憎まれた。ただの人として許してくれた、愛してくれたのは広瀬しかいなかった

・気遣ってくれた人も含めて、ただ生きているだけでたくさんの人が死んだ。自分(の使令)が殺していた

麒麟として帰るためだけにやはりたくさんの人が死んだ。にもかかわらず麒麟のしての力の全てを失った

という有様にまで、なってしまっていたんですよね…

魔性の子は泰麒の事情を知らない普通の人の視点、主に広瀬の視点で描かれているので、あの数年間を泰麒がどう思っているのか、実は今までよく分からなかった。それが3巻であれほど痛切に描かれて、しばらくページをもうすすめられなかった…

泰麒のことを変わってしまったと思ったけれど、気質は驍宗さまのいう通り変わらないまま、ただ彼の背負う重荷だけが、普通の麒麟なら有り得ないほど膨れ上がって、それが泰麒の退路を排除し覚悟を作って、白銀での行動に至ったんだなあ…

自分は生きてるだけですでにたくさんの人を殺しているのだから、って、麒麟だからできないとか嫌だとか罪だとか、そういう全部を自分に許さなかった。泰麒の色々な不可解な行動の全てが、一切の保身のない王への想いと、民への慈悲によるものだったんだな…って3巻だけでめちゃくちゃ泣きました

 

2巻読了の時点では驍宗さま魂魄抜かれてるのかな…最後に正気を一瞬取り戻して禅譲するのかな…そんな風に変わり果てた驍宗さまなんて見たくない…って鬱々としていたので、元気に脱出しようとしてる驍宗さまが出た瞬間、もう何がどうなってもいいと心から思ったし、これで勝てる!!って思ってしまった。…ので、そこから一気に落とされて絶望したんですけど。 これは泰麒の驍宗さまへの情の物語だから、二人がそれぞれに助かるだけではだめで、ちゃんと再会しなきゃ勝てないし終わらなかったんだな……と読み終わってから気づきました。

泰麒の最後の転変も、琅燦の主観では「治っていたのか」みたく言っていたけど、「本当は治っててちょっと前から転変できるようになってたけど隠してた」というよりは驍宗さまと再会して気持ちが通じ合ったことによって最後の鍵が外れたって感じかなーと私は思っています。魂魄が抜かれなくなったのは泰麒というより耶利の働きのはずだし、普通に転変できたならもっと早くしてる気がする。(というか治る治らない以前に泰麒はもともと自分の意思で自在に転変するのはできないのかもしれないけど。)

 

そしてその泰麒の想いの前に立ちはだかる障害が阿選なわけですね。

嫉妬ではない、と本人は言ってたけど、たしかに驍宗さまへの気持ちが嫉妬や健全な敵愾心、ライバル意識だったのは最初の頃で、今となっては「驍宗からは歯牙にもかけられてない」という絶望感だったのかなー…と私は思います。まあその認識自体が本当は誤りだったわけですが

阿選自身の主観で驍宗さまの方が上ではないか、自分は視界にすら本当は入ってないのではないか、と思った頃に、周りからの評価がそれを裏付けて(それすら、暁あたりの公平な評価では二人は双璧だったのだから、阿選のある種の被害妄想な可能性もある)、覆すために、驍宗さまの影にならないためだけに必死になって…

暁から2巻までの間、阿選なんなの??何考えてるの??ってずっと思ってたけど、3巻以降は、人間くさくて戴にあれだけのことをしながら実はその動機は個人的かつくだらないことな上に裏では失敗ばっかりなことが明らかになってきて、王の器では全くないと思うけど憎みきれなくなってしまった…いい執着だった…

 

妖魔のこと…というか琅燦のことは最後まであんまりよく分からなかったけど、このあたりは短編で回収されると期待…!

私たちの最もよく知る黄朱って頑丘なわけですけど、琅燦(阿選)のやってたことって頑丘みたいな「妖魔の性質を利用する、理解する」とかそういうレベルじゃないんですよね…なんだあの木札。

あと耶利に人間の世界に行ったららって勧めたのがもしかして更夜なんでは?と思ってるんだけどそのへんも明らかになるかな…どうかな…!でも1巻2巻で深読みしてたとこ全部間違ってたので全然期待してないけど!!

 

とにかく短編も楽しみにしております!本当にありがとうございました小野主上!! 最後の挿絵が18年待った私に対する最高の贈り物でした…!!

主人公がどんどん性癖に刺さるAIソムニウムファイル

AIソムニウムファイルを真相エンドまでクリアしました!

以下とってもネタバレです。

 

 

 

 

 

みんな思ってると信じてるんですけど、この内容はある意味パッケージ詐欺じゃないですか!?笑

パッケージめちゃくちゃ格好いいし公式サイトもシリアスオシャレなサスペンスものADVって感じだし、その辺コミコミで「絶対すきだわ!買う!!」ってプレイしたわけなんですけど、まさかこんなあほな漫才がずっと繰り返されるなんて思わなくない!?伊達はいったい何回エロ本で危機を潜り抜けた!?!?

でもそうやって笑い転げてると終盤どんどんしんどいことになっていって、それも全部含めて楽しいゲームでした!

 

各ルートでプレイヤーのところに段々と情報が集まっていって、最初は疑問ばかりだったところが、終盤、入れ替わりと犀人の存在が明かされたあたりから一気にすべてが一本に繋がってく感じがストレートに気持ち良かった

物語の察しが悪すぎることに定評がある私ですが(絡新婦の理の冒頭で何の情報も違和感も得ることなくそのまま読み進めて「この小説の楽しみ方を分かってない」と友人に罵倒されたり、Ibでギャリーさんの薔薇をギャリーさんに返さずに化け物に食べさせて落ち着かせようとして「お約束がなぜわからないのか」と罵倒されたりした前科がある)、珍しくまあまあ及第点程度には制作者の意図通りに理解しながら進められた気がします…!

試作機では左目抜かなきゃいけないことは全然イリスルートの時点ではまったく気づいてなくて、ピュータあたりに襲われたのかと思ってたので、犀人に教えてもらってようやく分かったんですけど。察しの悪い人にも優しい作りにしてくれてありがとう!ありがとうスパイクチュンソフトさん!!

 

個別の話でいうと、みずきルート……というか、伊達とみずきの関係がめちゃくちゃ好きでしたね。伊達ソムニウムでみずきも初めて伊達のそのときの気持ちを知る構造、とてもよかった… 

警察官なんだから死ぬほど忙しいはずなのに、自分の六年以上前の記憶だってない有様なのに、それでも自分の子供でもないみずきを引き取って、栄養バランスまでしっかり考えた食事を作る伊達、本当に人間ができてる…あほだけど…

バーでみずきについて「子育てなんか〜」みたいな言い方をした沖浦に内心ふざけんなと思った瞬間に伊達が「最悪の親だ」と言ってくれて、心から喝采しました

全滅ルートの伊達も、みずきはちゃんと生き残ってるんだから頑張って立ち直ってくれ…頼むよ…

 

ところでそんなメンタル豆腐加減も含め、伊達が好みの男すぎるんですよね

見た目クールっぽい!すき!

→いやこいつあほだ!

→小学生と同レベルで口喧嘩してるし口悪いけどちょろい

→みずきのことめっちゃすきじゃん…大事にしてるじゃん…素直じゃない甘い男じゃん…

→そのうえメンタル弱弱か…

→ついに元暗殺者設定までついた

って感じで次々に性癖な設定や性格が明らかになってくので大変楽しかったです

伊達が入った犀人の身体でもぜひ踊って欲しかったので、並行世界のイリスに頑張っていただきたいですね!!

 

 

アイドリッシュセブンというアイドルたちに再会した話

アイドリッシュセブン2ndライブ、REUNIONに両日参戦してきました。めちゃくちゃに最高だったファスライも超えるような最高に最高なライブでした!!

 

 

どう最高だったって、ファスライは王道なセトリでアイドリッシュセブンという作品の集大成みたいなライブだったなと今になると思うんですけど、セカライはタイトル通り、本当に「再会」のライブだったなと思いました。

ファスライでアンコールだったNATSUが一曲目という構成とか、

りばれ先輩のタイミングが分からないジャンプ、タマちゃんのレスポンス聞き取れないのにごはんを聞くコール、小野さんのフルネームを叫ぶ増田さんのような、「前もあったあった!」って思わせる演出やMCの数々もそうなんですけど、それだけじゃなくて。 

なんというか、生身の親しい人間に一年ぶりに再会したときみたいな、年月を感じたんですよね… 

 

アイドリッシュセブンという作品上の時間軸」という意味でも、願い→ミンタイの流れや中盤の台詞演出などからして、本編の進行に合わせて、ファスライよりも後のことなんだなってはっきりわかるわけですけど、多分それだけだったら「生身の親しい人間に再会したみたい」とはきっと思わなかった。

そう思ったのは、キャストさんの力がものすごく大きいと思います。

 

私はTRIGGER推しなのですぐTRIGGERの話になるんですけど

TRIGGERの三人って、感謝祭vol.1〜3とニコ生→ファスライ→感謝祭vol.4→セカライ、の順番で、どんどんお互いの絆を深めて、どんどんTRIGGERへの愛を深めてくれているような気がしませんか?私はします。

最初は(感謝祭では特に一人ずつの参加だったのもあって)澄ましたような感じもあったTRIGGERが、ファスライでは熱い格好いいパフォーマンスを三人で見せてくれて、その後の感謝祭では羽多野さんと佐藤さんがTRIGGER愛を爆発させてくれて、そしてセカライでは三人ともが感極まって涙が出てしまうほど思い入れてくれて。

もちろん声優さんだから、アイナナ以外のお仕事だってたくさんあるのに、この一年間、一年分だけ気持ちが私たちと一緒に進んでるんだって思った。

そんなキャストさんの想いの深まりが、現実の一年という時間の進みと、作品上の時間軸の進みとに合わさって、「アイドリッシュセブンのアイドルたちに、IDOLiSH7にTRIGGERにRe:valeに、一年ぶりに再会した!!」と強く心から思ったのです。

生身の人間に再会したら変わっているのは当たり前で、前と同じところを見つけたらそれだけで懐かしくて嬉しいけど、でもそれ以上に、会わない間に自分の気持ちにより近づいてくれてたら、会えなかった寂しかった時間が嘘だったみたいにもっともっと嬉しくなるように。その再会が本当に懐かしくて嬉しかった。

 

そして。

これがいわゆる「アイドリッシュセブンは実在した」ってやつだな…、と思っていたら、ライブ翌日からの池袋ジャックが「what's NON FICTION?」だったので、なんかもう運営さんは心読みかなんかなんですかね??

虚構の二次元の彼らと、現実の声優さんが合わさって、あの瞬間のアイドリッシュセブンはたしかにノンフィクションだったんだ……

 

 

ファスライから引き続き参戦の三グループの話ばっかりずっとしてますけど、圧倒的なパフォーマンスで雰囲気を塗り替えるZOOLが、本当に本当に素晴らしかった……

ついさっきまでTRIGGERを間違いなく推していたのに、名前を呼んでほしい、見てほしい彼らの気持ちがダイレクトに来て、二日目にZOOLの名前を叫んでいるときは間違いなくZOOLに熱狂している自分がいた。

そういう自分も、後半のオーバーラップでZOOLに歓声を上げてる自分も、もうアプリ本編でのZOOLに熱狂する世間やレッフェスの客そのものなんですよね…ZOOLに関してはとにかく「ZOOLが実在した」より「自分がアイドリッシュセブンアプリ中の人物(ファン)になった」感がすごくて。その瞬間が切り取られたように、ZOOLがステージに立ってる間、自分もさっきまでとは別の場所にいるみたいだった。what's NON FICTIONっていうかもう自分がフィクションでした。

ZOOL、間違いなく七瀬陸並みの訴求力、ある

 

約束のネバーランド(13巻まで)

新巻が出る前に書いておこうと思っていたのに忘れてました。

13巻までと、あと同時期に放映されていたGF編のアニメの話です。

 

 

 

13巻まで読んで、さらにアニメでGF編を振り返って、思ったのは「約ネバって託す物語なんだなあ」ということです。

今思うと最初からそうだったんだけど、13巻でようやく気付いたというか…

13巻で、仲間の中でたったひとり生き残ったおじさんの心境が明らかになったわけですけど。彼はずっと「託された側」で、その重みがしんどくてしんどくて死にたいほどだったけど、エマとレイという「託す相手」を見つけて、それできっと幸せに死ねたんだなあ…と思ったんですよね。

おじさんの描写は夢も含めて託す、というのが顕著だったけど、アニメで振り返ったらGF編の時点で、すでにシスター、ノーマン、レイ、ママ…とたくさんの人が、死んだり去ったりするときにエマに願いや未来を託していました。(レイは死ななかったので託される側になったけど)

そして託される側であるエマは「みんなで」逃げよう、「みんなで」行こう、という強い気持ちをずっと揺らがずに持っているので、集団戦闘の描写も相まって、約ネバは一人一人のキャラクターではなく集団での鬼との戦い、世界との戦いのおはなしに美しく仕上がってるんだな…こういうおはなしが好きです

 

そして約ネバのストーリーの中で終始エマは託される側だけど、たったひとり託した相手がGFに残してきたフィルなのでは…?って気がするんですよね。久しぶりに名前が出てきたけどどうなるんだろう。もっともフィルに託したものは、それを受け取るのもエマ(2年後迎えにいくという約束)ということなんですけど。

もしかしたらそれは約ネバの物語の最後なのかもしれないけど、エマにも自分ではない誰かに向けて、自分の抱えてる願いを託してほしいし、その相手がフィルだったらいいなあ…と個人的には思っています。約束を結び直して世界を変えて、物語はそれで終わるかもしれないけど、それでも終わらないのが人生だとおもうので。

COCOON 月の翳り星ひとつ(星ひとつ編)

COCOON星ひとつ編も見てきました!

以下、月も星も両方のネタバレ、これまでの作品のネタバレを含みます。あとCOCOONパンフも読んだのでパンフも。

 

 

 

 

 

 

 

TRUMP再演だった…??

グランギニョル見てて、COCOON月見てて、TRUMPの結末も知ってる状態でほぼTRUMP(ダリちゃん成分多め)な星を見たわけですが、ほぼ全編にわたって「全部おめーーの子育てが下手だからだよ!!」って始終イラついてたんですが最後の10分で全部許しました。

(※私のTRUMPシリーズ1番の好きなキャラはダリちゃんです)

 

だって、ダリちゃんとゲルハルトが子育て下手でなければ、

月のようにアンジェリコラファエロが仲違いすることもなく→TRUMPにおいてソフィーやウルが怪我することもなく→クラウスはあそこまで追い詰められなかったのでは…??

ウルまわりの呪いとクラウスやソフィーあたりはどう転ぶか怪しいので、やはりソフィーは噛まれたかもしれず、絶対平和に終わるとは言わないけども…

いやグランギニョルを見てる以上、彼らが苦悩してるのも息子たちを愛してるのもわかるんですけども…ダリちゃんはラファエロもウルも同じくらい愛していて、亡き妻もやっぱり愛していて、二人の息子も家名も全部守らなきゃいけなかったんだと思うし。ゲルハルトもアンジェリコをたぶんやっぱり愛していて、でも家名を継がせるためだけにおぞましいことをしてしまった自分を恥じているから、アンジェリコに家名を無理に継がせようとはしないし家名を継ぐことにこだわるアンジェリコが怖いんだと思うけど。

でもお前らのその気持ち、全っっ然息子たちに伝わってないですから!!!!ちゃんと息子とお話しして!!!!

息子の勇姿を見に来ていないらしいゲルハルトはストレートにひどいし、ウルの前でソフィーに汚らわしいと連呼するダリちゃんはデリカシーなさすぎだと思います!!!

ダリちゃん本人は、ダンピールは基本汚らわしいし臭いけど個人としては愛すべき息子だったり有能だったりする奴もいる、って考えな気がするんだけどさあ…その強さを万人に求めないであげて…

パンフレットの年表でそんな二人の子育て奮闘記作のことが書いてあったけどすごく見たい 胃が痛くなりそう

 

 

最後のシーンのダリちゃんで、やっぱりダリちゃん好きだなーすごいなーと思ったのは、彼がソフィーを疑わなかったところです。

ウルを刺した相手は分からなくて、最後にソフィーたちといたところを見た…というだけの情報からは、「ソフィーがウルを刺して逃げたのかもしれない」と疑ってもおかしくないな…その鬱展開つらいな…と思ってたんですけど、ダリちゃんは噛み跡をちゃんと見てソフィーのことを信じてくれて、ウルのこれまでの呪いに苛まれ続けた人生を誇ってくれたんですよね…

そしてこの死を嘆くことは許さない、と他人には言いながら、心の中では血を流してるという…(この、月を見ていないとわからない赤い花びらの演出が最高でした)

こんなの、この十分で全部許すよ…ダリちゃん……

 

 

ところでアンジェリコの話なんですけど

パンフの短編が月から一年半後のようなので、月ラストで改めてラファエロから拒絶されても、アンジェリコはおそらくまだイニシアチブでお友達を作ろうとかしていなかったんですよね。

それがTRUMP、星ではああなっちゃう、というのはやっぱりウルがクランに来て、ウルはラファエロを拒絶したりするものだから、「だからあのとき僕を選んでいればよかったんだラファエロ…!」みたいになっちゃったんだろうな…

たぶん愛ゆえに、息子が起こした事件をお金で揉み消してるゲルハルトもつらいし、あれほど誇り高い貴族だったのにあんな薄汚い陰口(根も葉もある)を叩かれるようにまで落ちぶれてしまったアンジェリコもつらい…

 

COCOON 月の翳り星ひとつ(月の翳り編)

COCOON月の翳り編見てきましたとても良かった…

以下ネタバレありの舞台感想です。星ひとつ編はまだ見てません、あと他シリーズのネタバレもあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンジェリコめちゃくちゃ良かったですよね!!!

前々から「お前ら何でもかんでもイニシアチブで解決しようとするなよ!!」というのは少し思ってたんですが、そこに来て(ディエゴのイニシアチブを上書きするために)噛み、でもイニシアチブで命令することなく、家名の力でもなく、ただ自分の気高さだけで服従を誓わせたアンジェリコ様…

父のような偉大な吸血種に、と彼はずっと言っていたけれど、あの瞬間私は「君はもう父を超えたよ!!!」と思いました。

今作のアンジェリコは全体的にグランギニョルのゲルハルト卿に寄せてたと思うけど、ここの瞬間についてはむしろ(ゲルハルトがなりたいと思っていた)ダリちゃんの方に近いように見えました。ヴァンパイア嫌いの歌麿さんとも最終的にはうまく関係築いたり、家名や血の力ではない能力、人柄によって孤独ではなく人の輪の中にいるダリちゃんの方…

 

でもそれほど人としての格を見せたアンジェリコが、TRUMPではむしろ「イニシアチブでなんでも解決する」側になり、ああなってしまうのは、ラファエロに理解されなかったからなんですよね…「君は僕であり僕は君なんだ」をぶつけた相手から何もかえってこなかった、感情を持て余した子の末路(父ゲルハルトも原初信仰してみたり危うい時期もあったけど、彼は逆にダリちゃんとのライバル関係が途絶しなかったために最終的に救われた)

序盤〜中盤のラファエロが自信なさげな少年なのに対し、ラストシーンあたりではTRUMPでの冷たい優等生よりになってるなーと思ったんですが、それはきっと深い繭期の中で手を伸ばしてなりたい自分(ウルの守護者である自分)を掴んだからで、その望みに対して誰かの理解を求めたりしていない中、ただただひとりぼっちで理解を求めてくるアンジェリコを見たらそれは憐れんでしまうよな…アンジェリコラファエロの持っているものが欲しかったけど、ラファエロはべつにアンジェリコの持っているものが欲しくはなかったから。アンジェリコラファエロ→ウル→ソフィの順に嫉妬や執着が巡っている…

 

アンジェリコの悲しいところは、上記のような気高さ誇り高さ、他人を従えるカリスマ性を持っていながら、「それでもラファエロがいなければなんの意味もない」と思ってしまったところなんでしょうね。

観劇前は、アンジェリコ一人だけが自分の出生の秘密を知ってしまう、というストーリーでTRUMPでのあれやこれやはフラ家の血を引いていないことを思いつめたゆえだったのだ〜〜的な感じなのかなーと思ってたんですが、彼の執着も歪みもただただラファエロのみから発露していた

繭期を越えて、その視野の狭さが解決されれば父を超えたと思うんだけどなあ…残念だなあ…

 

カーテンコールではけるとき、アンジェリコはただ前を見ているのにラファエロはアンジェリコの方を見ていて、とても辛かった…

ところでダリちゃんもゲルハルトも、もっと家庭でよくおはなししたほうがいいと思います。

 

Fate/Grand Order THE STAGE -絶対魔獣戦線バビロニア-

FGO舞台バビロニアだから私は王と民の話が好きだって言ってるじゃないですか!!好きです!!!って感じでした素晴らしかった…

以下ゲーム本編と舞台のネタバレあり、舞台はぐだこ大阪とぐだお東京を見たので色々混じってるかも

 

 

 

FGOの第七特異点は元々、

半年後に国が滅びることを未来視した王と、

王からそれを聞き、避けられない滅びを前にしてもなお戦うことを選んだ民の話

という側面のある話だと思ってるんですが、今回の舞台はゲーム本編からそういう部分を凝縮してくれていて、本当〜〜に最高でした…

まずウルクの民たちの登場シーンからして、市場で物を賑やかに売ったりしながら、「素晴らしき王の国、誇り高き民の都市」って歌うんですよそれからも何度も…(一度目の歌でもう泣いた)

そして半年後に滅ぶ以上、絶対収穫なんかできないのに、大麦の種を蒔いて「これが命になる」ってまだ何も知らない主人公のぐだたちに諭すんですよ… (二回目でこの辛さにようやく気付いた)

 

最後に500人残った民たちの価値を認めると言ったり、最初にぐだたちに民と仕事をするように言ったりと、ゲーム本編でもギルガメッシュ王の王たるところはゴリゴリにあるんですが。

舞台だと民を一人一人の役者さんが演じて、ほぼいつも舞台のはじとかで生活していて、さらに上記のような追加演出もあって、ウルクの民の誇り高さ、強さがより感じられたなと思いました。

魔獣たちに何度も襲撃されて、半年後を待たずにどんどん仲間が死んで。それでも戦闘に明け暮れるだけじゃなく生活も大事にしてるのがよく分かって、「あ、半年後の最後の最後まで戦い抜くこと生き抜くことそのものが、この人たちの戦いなんだな」ってことが、(ほかの文脈がかなり間引かれてることもあり)ゲーム以上にダイレクトに伝わってきたというか

そしてその民こそが王を王にするんですよね…私は「王」を形容詞として使いがちなんですけど、ギルガメッシュ王は本当に王だった……

見晴らし台からギルガメッシュが号令をかけるところ、大阪ではかなり前の席だったので、ちょうどウルクの兵士たちが王を仰ぐように私もギルガメッシュを見上げるようになって、私も500人の時代の到達点を超えたウルクの民になった気持ちでした。その大阪でカテコで「ウルクの民よ!」と呼びかけてもらえて、ギルガメッシュ王の民となれて本当に幸せでした